臆見(第二挿話20191022)

10/20、ユリシーズの読書会(ジェイムズ・ジョイス研究 - STEPHENS WORKSHOP)に参加した。

今は時間がないので詳細は割愛。浮かんだ由無しごとがいくつか。今書かねばこのまま何となく胸のうちで培養せるうちにぼやぼやオボロ霧散しそうで。

 

①Stephenの微笑みの意味(柳瀬訳p.69)

うまく読書会の場で言語化できなかった個所。

Stephenの循環的歴史観は、別に歴史観と言えるほど成熟したものだとは思われない。自身の記憶、実体験、日ごろの葛藤、私的問題と第三者的歴史が混在しているような状態。彼が俯瞰的に社会的トピックを語っている時は、第三者的話題を通じて自己語りをしているように見える。

彼が歴史について「目覚めようとしている悪夢」や「誰しもそうでしょう」と語るときに恐れる「悪夢の蹴り返し」(いずれも柳瀬訳p.66)は、彼が平素より抱える「anxiety」(不安という言葉では足りない)が表面化したものと見える。

可能性の存在である彼は不安定で、モラトリアム的幽体状態にあって、なんとなく彼の現在社会に不満や違和感・批判を抱えている。しかし正解にはたどり着けていない。どこか自信のなさ、確信のなさがある。何かを主張するとき、その主張が自分に跳ね返ることが怖い。

だから、校長から「迫害したことのない唯一の国」(同p.69)という言葉が飛んできたとき、少し安心したんじゃないか。事実の補完は頼もしく、信頼に値する。しかし校長の「迫害したことのない」という言葉の根拠は誤りだった。

彼は失望した。

 

②うつろなもの、貝、貨幣
①の考察も大概だが、これはもっと酷いと予防線を張らせてください。わざわざ主張するのも野暮だろうし、人によっては勘弁してよ、となりそうなむさ苦しさ。何より根拠となるような明確な記述はどこにもないので。

貨幣は虚ろなもの。可能性の塊。あらゆる消費行動を可能にする。一方。ただ持っているだけでは夢見る対象でしかない。役目を果たした瞬間、その貨幣は誰かの可能性に置き換わる。貨幣は信頼のもとに初めて成立する。保証なくして知覚されず。Stephenと似てる。

貝。貝は生きている時はその美しさを発揮することはない。あのオーロラは、宿主を失って初めて美となる。

 

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多分に自己投影して勝手に読み散らかしているだけなので、以上の記述に責任は持てません…。

出かけなきゃ。