アルゼンチン①
9/13-9/20まで、アルゼンチンへ行ってきた。
テレビ・雑誌等で見た事があるにも拘らず、アルゼンチン、殊にブエノスアイレスの存在を、どこか実感できていなかった。あまりにも憧憬が強すぎた。
ダラスから飛びながら、着陸する瞬間地面が抜け落ち、気が付いたら日本に戻っているのではないかと想像した。
着陸した時、起きているのか夢を見ているのか、よくわからなかった。
あぁ到着してしまった、と足を降ろすのも恐ろしく、来なければよかったと後悔した。
到着は14日8時前。日曜日。
それなりに強い雨と、早々に半ば壊れる折り畳み傘と、長距離飛行の疲れと、両替で蹴躓いたこと更に前述のおののきとで、この日は全体的に気が滅入っていた。
両替。空港ではゲートを抜けると両替所がない。まさか。市内も、銀行・両替所目につくかぎりは全て休日につき閉店という有様。幸い観光案内所が一ヵ所紹介してくれたお蔭で事なきを得たけれど、地下鉄にも乗れぬ不慣れな道を延々と歩かねばならぬで大分疲弊し気づけば1時を過ぎていた。
途中、お祭りに出くわしたり教会の豪勢なミサを覗けたり、悪いことばかりではなかったけれども。
お祭り。
ミサ。大統領府そばの大聖堂。
テレビカメラも出ていて、見ての通り撮影中の観光客も多く、特別な礼拝だったのかもしれない。聞けるほどのスペイン語力が無いのが惜しい(これは後々幾度も悔やむこととなる)。
無事両替ができたら、お昼ご飯。入ったカフェにたまたま英語のできる人がいて、雨に辟易していたため天候について確認すると、9月は雨少ないんだけどね…ごめんねと何故かその人に謝られた。
会う人会う人いい人で(ろくに会話ができなくても何となく気持ちよさは伝わってくる)、ドライでありながら気さくで、ほっとした。そういう人がいるような場所にしか、私も行かなかったのだが。
気付けばもう3時もほど近い。ホテル近くを攻めようということで大統領府の見学(無料)。
英語がいい、と頼むと、英語が話せるガイドの組に入れてもらえた。可愛らしいお姉さんがスペイン語と英語のガイドを交互に巧みにこなしていく。凄い(しかし出口で、警備の人にそろそろ疲れた、というようなことを英語で言っていた)。こちらの出費はタダなのに。
このバラ色、可愛いわねなどと眺めていたのがどっこい。血と土の色だという。さすが。内部撮影可。
パティオ。中庭。
観光案内所・観光客向け周回バスの充実といい、観光業への力の入れ方は結構凄いのではないか。南米の治安がどう等と言われているが、アルゼンチンについては通常の範囲内であればかなり観光しやすいと思う。
一時間ほどぐるりと巡らせていただき、気付けば夕刻。タンゴの予約も兼ねてカフェ・トルトーニへ。
あまりいい写真がない…。歩き回り取らせてもらえばよかった。
今でこそ観光スポットと化しているものの、昔は知識人が集い語らう場であったらしい。
この流れ、イワタコーヒーと照応するような。規模は違うが。
本来であればきちんとしたタンゴを本稼業としてる店見るべきなのだろうが、仮にも女の一人旅。時間もあまりない。宿の近くがいい、と値段も比較的手ごろなこの店で予約。
早々に予約が締め切られると聞いていたのに、一人だったからか、当日夜の公演を取れた。
220ペソが、ドル払いなら17ドルでいいと。外貨獲得に必死なのだろうか(通常1ドル=8.3ペソ。闇レートならば約14ペソ)。
このカフェに限らず、私的な店は高くドルを受け取る傾向にあるらしい。とりあえずドルで払えるか聞いてみると得することが多かった。不正規の両替は偽札をかまされることもあるというので怖いが、この支払ならお釣りさえ気を付けておけば、トラブルにもならなそう(だと思う)。
さて、テーブル席のため、当然相席(飲み物しか頼んでない人ばかりだった)。
(写真、ゆがんでいるな…)
人見知りがどうなることかと思いきや、ブラジル人夫婦とイスラエル女性とのご相席。ブラジル人夫婦の陽気さに助けられ、こちらはろくにスペイン語も話せないのに何故かずっとわいわい盛り上がっていた。
ブラジルの公用語は無論ポルトガル語だが、近しい言語であるためか、みんなスペイン語がペラペラらしい。イスラエル女性もスペイン語で話せていた。
このイスラエルの女性とは、帰りの飛行場でもまた再会する。驚いた。
ショーについて言えば、一度見ればいいかな…。
地元の人も大喜びしており、いいショーだったのだろう、とは思う。
ここで初日は終了。
片言の西語が存外に通じたのが自信になったのか夜には大分陽気になってきていた。
二日目は、プエルトイグアスへ飛ぶ。